2020-01-01から1年間の記事一覧

冷酷王セルチュクと博識帝クネド

混乱からの復興 9歳で即位したセルチュクの治世は、未曾有の疫病による世界の混乱が未だ続く中で始まった。即位から半年後の1311年3月、王都の東に隣接するホラーサーン軍政官のケマルが黒死病で病死する。継承者たる彼の子も全て死んでいたため領地は一旦セ…

のろまのルステム(後編)

巡礼 1294年12月、ルステムはアッバース朝を再び攻撃した。彼らがエルサレムを標的としたキリスト教徒の十字軍を相手に戦っている隙を突き、ペルシャ湾岸のアフヴァーズとフーセズターンの2州を奪い取ろうとしたものだった。 西で異教徒と戦っているムスリム…

のろまのルステム(前編)

石橋を叩いて渡る Slow<愚鈍>は全ての能力値に-3もの修正がつく不利な特性。ボザンの死の前に後継者を別の子に切り替えておくべきだったかと後悔した。 有能な軍事指揮官として活躍するはずだったボザンが倒れ、わずか9歳の子がルステム2世として即位せざる…

蛮勇のボザン

ボザンは用兵家・軍事指導者として有り余る才を放つ人物だった。ルステムからダイラムやホラーサーンの領地をいくつか任されていた頃から領内の軍備増強に心血を注ぎ、そこから徴用される兵はルステムが管理している時よりも1.5倍から2倍程度にまで増えたと…

法学者ルステム(後編)

カリフの号令 1254年5月、イスラム世界に大きな動きがあった。ハーシム家のカリフの名において、ペルシャをモンゴルからムスリムの下へ回復すべくジハードが宣告されたのだ。 これがあることをすっかり忘れていた

法学者ルステム(前編)

1239年、バヤズィトの子ルステムは父からディヒスタンとタブリスタンの軍政官位を継承した。 バヤズィトから北部の領地を与えられ統治していた頃から、ルステムは自分達がモンゴルの一傘下領主に甘んじていることに嫌気がさしていた。 東の果てに都を構える…

ディヒスタンのバヤズィト

©fdecomite,2010,Silk Road 1992,CC BY 2.0 砂と岩、吹き付ける風、そしてわずかな草木が広がる荒涼とした大地。人々はオアシスを中心に定住し、川の周辺では灌漑農業が発達し緑が生い茂る。ナツメヤシや麦の畑が広がり、市で売られるスイカが旅人の喉を潤す…

ダイラムの年代記

NMIHの里見プレイが終わった後、HolyFuryDLCとver3.0がリリースされる前に遊んだプレイ内容をまとめたAARです。

ファイアーエムブレム 風花雪月 青獅子ルナティック引き継ぎなし+いろいろ制限プレイの覚え書き

#FE風花雪月 #NintendoSwitch pic.twitter.com/KR1YSex2Bg — オラせん (@holland_senbei) May 27, 2020 今年のGWで聖剣3リメイク遊んだあとにようやく初ルナティックに手を出す気がでたので遊んでました。 録画ストレージ代わりにアップロードしてたTwitchの…