不徳のヨルンド(前編)

苦難の継承

「放蕩皇子」ヨルンドの即位は諸侯から冷やかな視線で迎えられた。
特にオリョールの女僧アスタとの密通を重ねたことから、皇后シグリッドとその兄タマス(テッサロニキブルガリア・ヘラスの大公)との不和は深刻なものであった。


AI操作時点で不倫を重ねていたせいで最初からめちゃくちゃ嫌われている

他にもクロアチア王コスマス、ボヘミア公フリーリクなど、強力な諸侯たちは不徳の君主に容易に恭順することはなかった。

ヨルンドに打てる手は少なかった。
帝国から独立せんとする一派のセルビア王ポルステインに対しては、彼の息子インギャルドに自身の娘のマリアを嫁がせることを約して調略した。
ボヘミア公フリーリクには密偵長の地位を与えた上で、彼の娘ピロシュカをヨルンドの将来の後継者アールモシュの婚約相手として迎え、ようやく表立った反抗を留めるに至った。


皇宮での豪奢な祝宴も催され、ヨルンドの数少ない友人であるトランスユラニア公インゴルフルやその他大勢の旗色を決めかねている領主たちが集まった。

ただ皇后やボヘミア公、ワラキア王などはヨルンドを嫌って参加を拒絶しており、かえって霊帝の求心力の弱さを示すものにもなってしまった。

夜明けから日暮れまで、宮廷の華やかさは続く。
ある日、皇女マルガレータが招いた詩人の歌を披露する催しがあった。
皇后シグリッドは退屈した様子で、あるいは自分の権勢を誇示するように振る舞い、その度にマルガレータもそわそわと辺りを見回していた。
詩人は歴代の霊帝や名うての戦士たちの偉大さについて即興で語り、決まり文句や賛辞を口にする。
近くの貴族もそれに加わり、群衆に媚びを売り、内心で馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、ヨルンドからの好意の表れを期待していた。
ヨルンドは仮面を脱いで、この愚人たちに怒りの鉄槌を下したいという欲望がじわじわと湧き上がっていた。
一筋の汗がヨルンドの眉間を伝い落ちる様を見て、父の心の内を察したマルガレータは幕間を告げて人を散らした。
「大丈夫ですか、お父様」
父の汗を布で拭うマルガレータの健気な姿を見て、ヨルンドはようやく冷静になった。
ヨルンドは冠を頭に戴きながら、このような重荷を自らに背負わせた父帝ブズリへの怨嗟を募らせていた。

霊帝に刃向かうことを臆さない一党は日に日に膨れ上がり、特に封建関係を解消してカルパチアから独立しようとする者たちはタマスを首魁として結束を強めていった。

ヨルンドはタマスに翻意を促すべく銀を贈り、あるいは契約を見直して税の量を少なく変更するなど手を尽くしたが、タマスの態度は変わることはなく、全て徒労に終わった。


もはや弾劾したところで派閥の解散を狙えるわけでもないが、やれることはやっておきたかった

タマスおよび他の独立派諸侯との対決が避けられぬと悟ったヨルンドは、ラウマリキ宗家当主の名の下にタマスを弾劾し、これを討伐するため軍を起こすことを宣言した。

 

断絶と対立

ヨルンドはアイルランドスコットランドを支配する北人の王イージグに使者を送り、彼の娘フレイヤとヨルンドの落胤イェネーの婚約をまとめることで2万に迫る援軍を得ることに成功する。

さらに北のポラニア、クヤヴィアをそれぞれ継いだストルグ家(ポラニアに流れたラウマリキの分家)の兄弟も呼び寄せられ、ヨルンドは総勢4万人以上の軍勢でタマス率いる反乱軍と対決することとなった。


派閥の反乱中は他の派閥の蜂起も活発になる。泣きっ面に蜂

ヨルンドの軍勢がドナウ川右岸のブルガリア領の制圧を始めた頃、税と兵役の減免を訴える別の一党からの最後通告がヨルンドの元に届けられた。
2つの反乱に同時に対処するすべもなく、ヨルンドはこの要求を飲むほかなかった。

ヨルンドの軍はブルガリア領の外縁部を制圧すると、そこにタマスの軍を引き込んで会戦で叩く案を採った。
この目論見は順調に進み、丘陵部の戦いで相手の渡河攻撃を誘ったヨルンド軍は緒戦を勝利で飾った。


あと8ヶ月程度しか軍を維持できない

軍資金に限りがあるヨルンドは短期決戦に持ち込むべく、ギリシアに撤退するタマスの軍を追ってバルカン山脈に登って追跡した。

しかしこれが大きな失敗となってしまった。
冬の山脈超えは想像以上に困難を極め、他国からの援軍も含めて物資は欠乏し脱落者が続出した。
挙句、敗走中のタマスを捕捉することは叶わず、逆に軍を再編成したタマスはシプカ峠を超えて再びドナウ川の沿岸地域に侵入することとなった。

タマス軍の再侵入を許したヨルンド軍は、膨れ続ける戦費に対する支払い能力の限界が迫っていた。
ヨルンドはバルカン山脈の途中で軍を反転させて山脈の西端から平野部に進ませ、ドナウ川の左岸地域を占拠するタマスと決戦を行うことを命じて最後の勝負をかけた。


自分の領地を制圧される通知が続々と届く中、野戦での逆転を狙うしかなかった

ワラキアのルシイ・デ・ヴェデにてヨルンド軍はタマス軍と衝突し、これがこの戦争の最後の戦いとなった。

雪花舞う1100年の1月、ワラキアには冷たい風が吹いていた。
勇士たちは刃を手に氷の地を蹴り、槍先の軍旗を掲げて突撃した。
弓騎兵が矢の雨を降らせ、重装歩兵が堅く壁を築く。
一進一退の長期戦の様相を呈していたが、それはヨルンド軍にとって敗色の濃い展開であった。
男たちは懸命に応戦し、手が凍てつく中で剣を振るった。叫び声が戦場に響き、血しぶきが氷上に弾ける中、拮抗は俄に崩れていった。
後方から後詰に駆けつけたタマス軍の本隊が、ヨルンド軍の横腹を襲ったのである。
消耗著しいヨルンド軍は敵の増援に対応しきれず、寒空の下敗走した。

ルシイ・デ・ヴェデでの敗北を受けて、ヨルンドは苦渋の決断を強いられた。
己の武威をもってしても最早事態は収拾できないと判断したヨルンドは戦争が不本意な結末に達したことを悟り、タマスに和平を申し出た。


パラドゲーの戦争でここまで明確に大きなものを失ったのは初めての体験かもしれない

霊帝ヨルンドは反乱軍の要求を全面的に受け入れ、彼らのカルパチアからの独立を認めて停戦の合意を締結した。
勇気をもって一歩を踏み出した彼の心は真摯なものだったが、それは筆舌に尽くしがたいほど重苦しかった。

 

地固め

この内戦の結果、主に4人の諸侯がカルパチアから独立した。
ワラキアのムンテニア女公ペトラ、ガリシア・ルテニア大公リクルフル、そしてギリシアのエピロス公エルノーと、テッサロニキブルガリア・ヘラス大公のタマスである。
強大な経済力と軍事力を生み出していたギリシアの大半が離反したことで、カルパチア帝国の対外戦略は大幅な見直しを迫られた。
ヨルンドは自らの手から抜け出していった国々を再び統合することを望んだが、現状の彼の力ではそれが叶わないことも明らかだった。
そこで彼は新たな家令のキビュライオタイ公ガースパールに直轄地の開発を命じ、力の源泉を増強した後に分離・独立した地域の再統合を目指すことにした。

「帝国の中興を望まれるのでしたら、まずは収入を増やすことです。麦畑を広げ、荘園の屋敷を建て、下々の生産を活性化させましょう。豊かな収入を確保できます。ましてや陛下はこのたび、ギリシアからの税収という大きな実りをお失いになられた」
「不愉快なことを申すものだな」
「事実ですので」

「また、帝都に税務の役場を築くことで管理を効率化します。畑を広げるのと合わせて、金庫を埋める役に立ちましょう」


宮廷の環境レベルを落とす

「それから、御身の身の回りに費やされる出費も見直した方が良いでしょう」
「致し方ないか…」

「私の願いは、私が失ったものを取り戻すこと。そのためには金と兵が必要だ」
「草木の成長のように、着実に積み上げる努力が将来の繁栄を築く礎です。先に挙げた計画に投資する裁可を下していただけますかな?」
「分かった」

f:id:holland_senbei:20230901101228j:image

政以外にもヨルンドへの試練はあった。
皇后シグリッドがノグラッド市長スタニスラウと寝室を共にしたことが明るみになったので、ヨルンドはこれを問い詰めた。
ただヨルンド自身がアスタとの密通を繰り返している咎人であったので、シグリッドの罪をことさら責める道理もなかった。

「神々があなたを罰しないというのなら、私を罰する謂れもないでしょう?」

f:id:holland_senbei:20230901101347j:image
愛人関係に終止符を打つ

ヨルンドは愛人アスタとの関係を絶ち、皇后との関係改善を図らねばならなかった。
ただし冬の氷が春の陽光に溶けるまでには長い時間がかかり、すぐにという訳にはいかなかった。

 

先制攻撃

タマス達の独立を許してからおよそ3年半ほど経ったころ、領地の強化が整い出したヨルンドは、カルパチアに根づこうとしていた新たな病の元を切除しようとしていた。

f:id:holland_senbei:20230901101729j:image

ヨルンドを嫌った諸侯が聖帝ステインの孫にあたるエモーケという娘に帝位を移そうと集う兆候が認められていた。
彼らは即座に蜂起するような烈度はないものの、いずれ何かの弾みで暴発してもおかしくなかった。
ほんの数年前に国内のほぼ全ての封臣から立て続けに圧迫され敗北を味わっていたヨルンドにとっては、過敏に反応しない方が困難であった。

ヨルンドは先手を打ってエモーケ派の有力者を粛清して、脅威を事前に滅することにした。
派閥の首班と見られたジェール公カールを謀叛の疑いで捕縛することを通告し、軍を送ったことに対してエモーケ派の諸侯は蜂起で応えた。

f:id:holland_senbei:20230901102442j:image

この乱には反乱側諸侯との盟約により参戦する者が相次ぎ、当初の想定を超えた規模の兵力が激突した。
しかし彼らの多くはホルグスホールまでロングシップにより急遽駆けつけたので、上陸したところを待ち受けていたヨルンドの弓騎兵により撃滅された。


婚約関係を結んでいた一部の封臣を除いて多くの領主が捕らえられた

この乱は1年半ほどで鎮圧され、同盟により反乱に加担した者も含めてカルパチアの多くの領主がヨルンドに捕えられた。

f:id:holland_senbei:20230901102918j:image

公に罪のない者を捕縛せんとすることは圧政であったが、結果により手段が肯定された。
制圧された多くの諸侯の領地の行方は全てヨルンドの指先で決まることとなったので、奪った領地を自らの都合の良い者に分配し、自身への強力な忠誠を期待することができた。

f:id:holland_senbei:20230901103227j:image

捕らえられた者達の中にはヨルンドの異母弟で、父ブズリからアナトリア公位を与えられていたヤトバルドもいた。

「許してくれ、兄上。誓いを違える訳にはいかなかったんだ」
「許すとも。お前が嘘をつけないのはよくわかってる」

f:id:holland_senbei:20230901103357j:image
ヤトバルドは野心家であったが正直な人間でもあったので、ヨルンドが帝位を継ぐ前も後もお互いに信頼しあえる貴重な兄弟だった。
派閥への直接的な参加はしていなかったが同盟により手向かった弟について、ヨルンドは戦後処分を済ませるまでの数日のみヤトバルドを留め置いたのち、彼をすぐにアナトリアへ返した。

「次にまた俺を攻めることがあっても、早いからって俺の城まで直接船で乗り付けるのはやめた方がいいぞ。返り討ちにするのも簡単だからな」
「そうだな。次はもっと上手くやってみせるよ。じゃあな!」

兄弟は笑いながら別れの言葉を交わし、ヤトバルドは兄から与えられた船でドナウ川を下っていった。

f:id:holland_senbei:20230901115303j:image

同じくヨルンドの友人であったが、反乱には参加せずヨルンドを支持し続けたことで利を得た者もいた。
アールパード・フェーヘル家のトランスユラニア公インゴルフルは内気で野心のない人物だったが切れ者であり、即位の前からヨルンドと意気投合していた。
不品行で聖会から疎んじられていた皇太子と、常に権力への欲求が是とされるタールトシュ達から半端者と看做された公とで、どこか惹かれ合うものがあったのかもしれない。

f:id:holland_senbei:20230901124305j:image

インゴルフルは乱に参加した他の領主から剥奪したブコヴィナを与えられ、程なくして新たなモラヴィア王となった。
ハンガリーモラヴィアに跨る大領主の出現はあるいは将来に渡って皇室の脅威になることも懸念されたが、それよりも現在の個人関係に重きが置かれた沙汰であった。
インゴルフルはこの後ヨルンドの密偵長としてカルパチアの暗部を預かるようになり、霊帝や皇后の暗殺を幾度も未然に防ぐなど、ヨルンドから大きな信頼を得ていった。

f:id:holland_senbei:20230901145740j:image
皇后シグリッドとの隔たりも少しずつ埋まっていった。
長い間食事を共にすることもなかった夫婦が、時たま食卓に同時に現れるようになったのである。
彼らは互いの心のうちを探り、時には言葉少なく過ごすこともあったが、少しずつ会話の時間が伸び始めた。


関係改善を重ねてようやく相殺

エモーケ派の反乱を鎮めた頃には、ヨルンドが皇后の私室を訪れることも多くなっていたという。
よき夫婦というよりも友人のようなものであったかもしれないが、穏やかな関係がこの夫婦にようやくもたらされていた。

f:id:holland_senbei:20230901150258j:image

2人の間に生まれた嫡男アールモシュも物足りなさはあるものの成人し、ヨルンドはこれまでに触れられていなかった幸福を日々感じていた。

f:id:holland_senbei:20230901150412j:image

しかしその穏やかな日々は雷鳴の如き報せによって妨げられた。
1110年1月、カルパチアから独立し三大公位を保持するタマスが、今度はカルパチアの帝冠を望んでヨルンドに戦の嵐を降らせたのである。

 

次回 不徳のヨルンド(後編)