女帝マルガレータと修復者アルングリム

女帝マルガレータ

カルパチアで初の女帝となるマルガレータは即位の時点で53歳と高齢であり、その統治はあくまで皇太子アルングリムへの「繋ぎ」であるとみなされた。
女の皇帝に難色を示す貴族たちも多かったが、それ以上に味方も多かった。

 

 


彼女の夫ゴルムはマルガレータの父ヨルンドによってルテニアの王に据えられており、帝国の北方で勢力を築いていた。


同盟を導いた女たち

また、カルパチア国外でマルガレータの叔母ドリファと結婚しているテッサロニキ専制公アルモス、同じく叔母のマルガレータと結婚しているヘラス大公ジェルジとも誼を通じ、同盟を結ぶことに成功した。

 

1132年から1134年にかけて女帝マルガレータに反抗する諸侯が独立を求め反乱を起こしたが、テッサロニキとヘラスからの援軍を得たマルガレーテは難なくこれを制している。

反乱に加わった領主から奪った領地のうち、イタリアのアプリアは帝位継承者であるマルガレータの嫡男アルングリムに授けられることとなった。
これは彼に統治の経験を積ませ、資質を磨く重要な機会でもあった。
またプロシアから嫁いできた妻ミリュンスとアルングリムの間には娘が1人産まれたのみであったため、アルングリムに側室を持たせて世継ぎを増やすことも期待された。

 

テッサロニキとヘラスとの同盟は磐石にも思えたが、程なくしてマルガレータは困難な選択に直面する。
テッサロニキ専制公アルモスがヘラス大公ジェルジに対してヘラス奪取の戦争を宣言したのである。
ヘラス大公ジェルジからは救援の要請が届けられるが、それに応えることは翻ってテッサロニキのアルモスとの関係を損なうことになってしまう。


イベントにより互いの後継者同士が友人となる

進退窮まるマルガレータはヘラスの叔母マルガレータに詫びを含めた手紙を書き綴り、使者に託して届けさせた。
テッサロニキの軍がヘラスの国境付近を制圧していく中、マルガレータはヘラス大公夫妻からの招きを受け、我が子アルングリムを伴ってヘラスの都デメトリアスを訪れることとなった。

「我が子ローリンツの未来を託す」

と、ヘラス大公ジェルジは言葉に力を込めた。
テッサロニキ軍の荒波がじきにデメトリアスの門を叩くことは想像に難くなかった。
しかし戦の轍の後にも花は咲く。
大公の瞳には誇りと覚悟が燃えており、ヘラス内の一領主の身に戻ることになろうとも、我が子の未来は明るい灯火として残す必要があった。
マルガレータとアルングリムは戦後も彼らと交友を通じることを誓い、ヘラスを後にした。

1138年4月にテッサロニキ専制公アルモスはヘラス大公ジェルジを下し、自らがヘラスの公を兼ねることとなった。
この時のカルパチアにとって2つあった同盟国が1つに統合されたに過ぎなかったが、アルングリムは彼の国と将来対決することを決心した。

 

マルガレータとその夫ゴルムは共に60を超えて生きたが、その関係は晩年に大きな変化を迎えた。
ゴルムはマルガレータとの結婚を解消し、若い別の娘を新たな妻として迎えていた。
ホルグスホールの皇宮で彼らが共にした時間は短く、遠くルテニアの王として妻と離れて過ごしていたゴルムには、心の隙間を埋める存在が別に必要だったらしい。

マルガレータはその後独りで69歳まで生き、1147年5月に亡くなる。
このような中でアルングリムは霊帝として即位した。

 

謀略の帝王

温かな春風がカルパチアの草原を包み込み、聖なる即位式に神秘的な空気をもたらした。
アルングリムは神話の生き物と古代の象徴が編み込まれた法衣で着飾っており、タールトシュの祈りと共に儀式は荘厳な雰囲気で満たされた。

この年、帝位がマルガレータからアルングリムへと移ったことで、帝国内の派閥の動きを季節風の如く活発化させた。
アルングリムの即位は王権の低下を要求する派閥に火をつけるきっかけとなり、帝国は急速に内乱の渦へと巻き込まれていった。

アルングリムは総領としてテッサロニキからアルモスを召喚し、内乱鎮圧のために自らの軍と合流させた。

テッサロニキの援軍は闘志溢れるカルパチアの戦士たちとともに反乱軍を切り裂いて、ハンガリー内の反乱諸侯の城砦を制圧していった。

ただし、アルングリムがアルモスを呼び寄せた理由は反乱の鎮圧のためだけではなかった。

月が輝く野営地で、アルングリムの放った刺客は密かにアルモスの命を狙った。
協力者の手によってアルモスが休む天幕には印が刻まれ、暗殺者は死の舞台へと導びかれていた。


95%の暗殺をまさかの失敗

だが、運命の風は思わぬ方角から吹いた。
暗殺者たちはマジャル語で合図をとりあったが、それを解するアルモスはすぐに自らが狙われていることを悟り、獣のような敏捷さを見せるとすぐに野営地から消え去ってしまった。

この時のアルモスを暗殺する試みは失敗したが、アルングリムにとって毒と短剣はその後も暗闇の芸術を仕立てる絵筆としてしばしば用いられた。

この内乱と同時期にアルングリムの父ゴルムはルテニアとザポリーツィアの王位を保持したまま亡くなっており、ルテニアはアルングリムの甥であるカールに継承された。
国内体制の強化を図るアルングリムはカールの盃に自ら調合した毒を忍ばせて、ルテニアの王権を自らの懐へと滑りこませた。


愛と欲望

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プロシアから嫁いできた妻ミリュンスとの間には嫡男アンドラスを含めて3人の子が産まれていた。
しかしアルングリムと真に心を通わすことは叶わず、彼女は精神の均整を崩してしまうと塔の奥に軟禁されていた。

アルングリムの心は遥か北の地にいる友、ロスラヴリ伯の妻アスラウグへと飛んでいた。
彼女のことを考えることが多くなり、2人の距離に耐えられなくなることもある。
これは友情の深さの表れなのだろうか、それともそれ以上の何かなのだろうか?

アルングリムの心は獰猛な獣のようにアスラウグを追い求め、ついには兵を差し向けて帝都の皇宮へと彼女を連行した。
アルングリムはアスラウグを側室にしたのち、ミリュンスと離縁してアスウラグを正室としてしまった。
神秘的な白い肌と暖かく憐れみ深い心を持つアスラウグは運命の荒波に身を委ね、アルングリムの囚われの鳥となった。
アスラウグはアルングリムの暗く荒れる魂に静かな安らぎをもたらし、亡き母マルガレータのように彼を包み込んだ。


「優しい人、アルングリム。でも私はこのようなことは好みません」

アルングリムは彼女の心をも色欲に堕とそうとして、ある晩アスラウグを誘惑の舞いに誘った。
しかしその試みは風に散る花びらのように虚しく、彼の思いは空しく闇に消えていった。

 

それでもアスラウグはその後もアルングリムのそばに居続けた。

「私を満たせるのは、あなただけなのだ。ずっと傍にいてくれ」

彼女の温かさは、カルパチアの厳しい冬を溶かす暖かな春のようにアルングリムの心に花を咲かせ、その優しさが彼が玉座の孤独と闘う力となった。

 

修復者アルングリム


1151年の8月、アルングリムの瞳はヘラスとポントスを支配するタマス2世へと焦点を合わせた。
国内の動乱を鎮め、体制を強化してアルングリムという強力な指導者を得たカルパチアは、かつて散り散りになった帝国の破片を再び統合するという使命を遂行していった。


霊帝アルングリムは野望の炎を燃やし、タマス2世の従属を強いるために数多の兵を送り込んだ。
戦場は力と名誉の劇場と化し、翌年の8月にアルングリムの勝利で幕が下ろされた。

それから6年後の1157年の7月、歴史の舞台は再びギリシアに設けられた。
角笛の音が地に鳴り響き、カルパチアの戦旗が空に掲げられた。

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アルモスからテッサロニキ専制公の地位を継いだドモスロは戦場で斃れ、その息子ロリアノスが新たな公として立ったが、戦神ハドゥールの恩寵はなおアルングリムの側にもたらされた。
捕えられたロリアノスは新たな支配者のもとに屈し、コンスタンティノープルの鍵はアルングリムに手渡された。

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失われた最後の欠片であったギリシアアナトリアを取り戻し、帝国の領域はこうして再び一つに結ばれた。

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絢爛たるコンスタンティノープルを含むトラキアの公位は、アルングリムの嫡男アンドラスに授けられた。
かの帝国の栄光を宿して久しいこの都市は、かつてラウマリキの誇り高き血族に分け与えられていたが、その煌びやかな力ゆえに過去の分離と独立の種となっていた。
アルングリムは、この不朽の都市が再び野望の炎に燃える者たちの手に渡らぬよう、最も信頼のおける者―自身の後継者にその管理を委ねる決断を下した。
アンドラスに託されたこの新たな役割は、帝国の紐帯を一層強固なものとし、分裂の歴史を繰り返さぬための策であった。

文化の発展

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いわゆる中世盛期と呼ばれる時代の息吹を受けて、新たな技術革新の花が咲き始めていた。

王は代官を任命し、彼らが法を領国全土に施行させることで、広い領域で効果的に統治することができるようになった。
結果として、より多くの土地を治められる余力ができた。

新たな土地を求めた開拓者、あるいは他所の土地から逃散してきた農民たちが集められて、王の畑を増やすために送り出された。ホルグスホールのケチュケメート、あるいはヘヴェスのギョニョスパタでは入植地が拡げられ、麦や葡萄が植えられていった。

 

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技術の発展は新たな土地だけに限らず、既存の土地でも恩恵をもたらした。
ホルグスホールには帝国の脳とも心臓とも言える徴税役所が位置しており、そこに廷吏の役所が増設された。
公正と秩序の象徴として輝くこの新たな役所は地域の秩序と繁栄を守る盾となり、経済の活性化に貢献した。

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ショモジヴァールには夏の離宮が優雅に増築され、帝国の煌びやかな歴史と伝統を代表する象徴となった。
この宮殿の存在によって霊帝の威信もより高まり、柔らかな風が吹き抜ける庭園によって心身の疲労を癒した。

かくしてカルパチアは新たな追い風を受けて、歴史の頁に新しい章を刻み始めた。

 

恐王の統治


陰謀ライフスタイルを経由した後、軍事ライフスタイルの監督官ツリーに移行

アルングリムの統治はカルパチアの諸侯にとっては圧政の時代でもあった。


陰謀能力と拷問官ライフスタイルの能力により、捕縛成功率が非常に高い

1160年2月、アナトリアのアペメア公パンクラチオス、およびブルガリアのフィリッポポリス公ベーラは、反逆の証跡もなく突如霊帝の兵によって軟禁された。
この強硬な方針はアルングリムが自身の死後を見据え、我が子アンドラスに対する脅威を緩和するための措置であった。

「今大人しく従っているからと言って、私が死んだ後に我が子に刃向かわぬという保証がどこにある?」

 

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1162年の夏にアナトリコン王ヤトバルドがこの世を去り、彼の孫トスティが王位を引き継ぐと、アルングリムの鉄の手は容赦なくアナトリコンの王権を剥奪した。

ヤトバルドはアルングリムの祖父ヨルンドの異母弟であり、その信頼を基に霊帝に刃を向けた後もアナトリアに封じられていた。
アパメア公やフィリッポポリス公に対する措置と同様に、アルングリムは血族の絆さえも犠牲にして権力の均衡を保つことに努めた。

アルングリムの魔の手は帝国の西にも向けられた。
ゲルマンとバイエルンの冠を戴く女王シシーラもまた、甘美な葡萄酒に仕込まれた毒薬によって命の炎を消し去られた。

フランク人達の領域に進出することで強く広がった彼女の力は、アルングリムにとっては危険な存在にしか映らなかった。
その力は強制的に断ち切られ、彼女の王国は二つに分割された。

アルングリムの策略を遮るものは少なく、霊帝の力の犠牲者はこの時代の象徴として暗い歴史に名を刻んだ。
彼の統治は厳しさと恐怖で知られ、人々を震え上がらせた。

 

アルングリムによる統治は彼が68歳で息を引き取る1175年まで続いた。

その行いから空想的な噂も立つようになり、皇宮の奥深くで邪悪な秘薬を調合する魔術師であるとも信じられていた。

 

エピローグ

アルングリムの死後も、カルパチア帝国の歴史は未来へ足跡を刻み続けた。

遥か東方では、モンゴルから発した遊牧民の帝国が暴風のように世界を席巻し、その強力無比な騎兵たちはウラルの東の麓にまでその足を伸ばしていた。
だが、彼らを率いるチンギスという男はウラルの西にその足跡を刻むことは叶わず、1250年頃にこの世から消えた。
チンギスが息絶えるとともに、彼らの噂が遥かなヨーロッパまで届くことはぱたりと止んだ。

 

ホルグスホールの皇宮の静かな一角では、若き皇太子が賢者ともいえる老いた教育係から「ラウマリキ年代記」の古い物語に耳を傾けていた。

「今日は我々の最初の先祖の話をします」
「最初のご先祖様?どれくらい昔のこと?」
「ずーっと、ずーっと、昔のことです」

『彼らは遠い北の地からやってきた。荒々しい海と厳しい風と雪を越え、未知の地を求めて長い旅を続けていた』

「北の地って、どこのこと?」
「とてもとても、ここからは見えないくらい遠い場所です」

『彼らが進む道は冷たい風が吹き抜けて、大地は氷に覆われている。だが、彼らの心は暖かく新しい家を見つける夢を抱いていた』

「その人達は暖かい家が欲しかったの?」
「そう。彼らの勇気と探求心が、私たちの国の土台を築きました」

『勇猛なラグンヒルドに導かれて、堅固な船は川を昇り、ハンガリーにたどり着いた…』

 

「大平原のヴァイキング」おわり

 

おまけ