不徳のヨルンド(後編)

テッサロニキ大公タマス出征す」という報せはカルパチア中に即座に知れ渡った。

「卑劣な圧政者はギリシア劇の題材のようだ。今こそこれを打ち倒し、帝冠を正当な者の手に取り戻す」

と喧伝するタマスに呼応する兵達の士気は高く、その兵数は彼の同盟諸侯を合わせておよそ3万5千にも及んだ。

タマスはコンスタンティノープルからボスポラス海峡を東へ渡り、小アジア内のカルパチア領に侵攻した。
自らの本拠地の背後の安全を確保しようとしたタマスの動きを見たヨルンドは、アナトリア南西部の沿岸に全軍を上陸させるとタマスのいる北へ軍を進ませた。

両軍はマルマラ海に面するニカイアの平野で接触したが、カルパチアの軍勢に本来いないはずの軍旗が並び立つことにタマスの軍は動揺した。
戦神ハドゥールを奉じるタールトシュ達―生命の樹の戦士団が霊帝ヨルンドに従って参陣していたのである。

 

 

禁じ手

もちろんタマスが異教の軍とみなされた訳ではない。
ヨルンドはタマスの進軍を知るとすぐに戦士団の本拠のあるペシュトに赴き、戦士団長のランパートと対面して戦士団の参戦を要請していた。

「異教の敵と戦争している」という条件さえ満たせばコスト不要で雇える後援中の宗教戦士団
弓騎兵の増強を繰り返しており非常に強力

ランパートは当然のことながら参戦を断ろうとした。

「我々は同胞との争いには関われません」
「戦士団としての立場は尊重したい。だから今の状況をこのように解釈して欲しい」


同じ家を出自とする君主の宿命として、自分が保有する爵位称号の継承ライバルとなりがち

「タマスが帝位を主張することは信仰の混乱を招く。代々カルパチアの皇帝とタールトシュの長は不可分のものとして引き継がれてきて、このことが我々の力を支えている。それを侵そうとすることは世を乱す行為だ」


「異教の敵と戦争している」という条件を解決するプレイヤーチート的な手法
タマスから宣戦された直後に、無関係な弱小遊牧民に対してこちらから戦争を仕掛ける

「第二に、我々はこれからアゾフを切り口として遊牧民を打ち払い、東へと進む。タマスを早くに退ければ、新たな土地を得る戦いを円滑に進めることができるはずだ」

「そして加えて言うなら、君たち戦士団は私が所有する組織であることを忘れないでほしい。君たちが今後も借り入れる土地を増やしていきたいなら、私の要望を聞いてもらいたい」

ヨルンドの言葉は全て詭弁であった。
タマスをすぐに打ち払い、そのうえ東方へ進撃するなど荒唐無稽な話であった。
カザフから東はそもそも雨が少なく、畑を耕すこともままならぬ険しい土地だからこそ、これまでの代々の霊帝もザポリーツィアから東へは進まなかったのだ。
その上、新たな土地を餌に戦士団を釣ろうとする物言いにランパートは不快感を覚えた。
それでも彼は、霊帝ヨルンドに対して表立って反抗することはできなかった。
異教との戦いが宣告された以上、戦士団には軍役に奉じる責務があり、そこから逃げることは彼らの信仰にとり許されるものではなかった。


戦闘での優位が非常に大きく、通常の2倍以上のダメージを与えている
指揮官の差も大きいが、家宝や王朝の遺産などのおかげで自領で戦うだけで大きな優位を得られている

カルパチア軍の用兵にも変化はあった。
タマスの独立を許した過去の戦争では有利とは言えない状況で相手の城砦を奪おうとして結果として大きな損害を被ったが、それを自戒し自分から動こうとはしなかった。
ヨルンドから軍の指揮を任された新たなジェール公アールパードは、ニカイアのカルパチア領に侵入してきたタマスの軍を迎撃することに徹した。
自領で待ち構えられる有利な地勢、特に弓騎兵が存分に戦える平原にこそ勝機を見出し、敵がそこに入り込むまでじっと待っていた。

戦端が開かれた後は鏖殺と言ってよかった。
タマスが動員する軍は数・質とも十分なものであったが、ニカイア各地の占領のために分散した隊のうち、もっとも指揮能力に劣る部分がジェール公アールパードが襲いかかった相手だった。
カルパチア軍の襲撃を察知したタマスは分散した各隊を即座に集結させて戦場へ急行させたが、彼らは到着する先から次々に討ち取られていった。


王朝の遺産のPillageトラックの効果で戦闘に勝利すれば相手の死傷者の数に応じて金が手に入る
味方に他国の援軍が参加していると何故か獲得できないが、この金だけで動員費用を維持できなくもない
かなり壊れ気味の効果

1110年春のニカイアの戦いはヨルンドの大勝に終わり、ここでの多くの戦利品が軍資金に転換された。


ヨルンドはタマスの軍隊だけでなく、彼の心をも打ち砕こうとした。

タマスの子グドールフはお菓子が大好きだった。
コンスタンティノープルの宮廷ではアラビアからもたらされたナツメヤシやメロン、砂糖を用いた菓子なども供されたが、彼の一番のお気に入りは砂糖とアーモンドを挽いて練りあわせたマジパンだった。


AIの振る舞いに対してプレイヤーの感情がキレた例

ただ不幸なことに、この日の焼き菓子はヨルンドの息のかかった給仕によって毒が混ぜ込まれていた。
それを口にした幼きグドールフは喉をかきむしって苦しみ、床に倒れると二度と起き上がることはできなかった。
ヨルンドの手先となった給仕は捕らえられ、死の前に誰が仕立人であったかを明かしてしまった。
ヨルンドは身内殺しとして忌み嫌われるようになるが、もはや気に留めることではなかった。
自分から力を奪おうとする憎き敵を苦しませることこそが肝要であったのだから。

我が子の死で陰鬱な心を抱えたタマスは、ニカイアの戦いの後もギリシアでヨルンド相手に敗北を重ねた。
戦費の調達もままならず、ヨルンドとかつての戦いでの立場が入れ替わったかのように進退窮まったタマスは、戦いの始まりから1年8ヶ月後の1111年9月に和平に応じた。
ヨルンドはタマスから多額の賠償金を受け取り、またカルパチアの帝位を今後一切要求しないことを条件に戦闘を停止し、ギリシアからカルパチアに軍を引き上げさせた。

1111年9月の和約はあくまで一時的な休戦にすぎず、ヨルンドはこの戦いで傷を負ったタマスを見逃さなかった。
1年間兵を休ませた後の1112年12月、ヨルンドは続け様にブルガリアへと侵攻した。

広大な領域の多くを山地・丘陵で占めるブルガリアの制圧は長期間を要したが、およそ3年後の1115年10月に再びタマスを降伏に追い込んだ。
15年前にカルパチア帝国から離脱した3つの王冠のうち1つが、ようやくヨルンドの手に戻ってきたのである。
この戦いから1年後の1116年9月にタマスは老衰で没し、ヨルンドは最大の危機をどうにか乗り越えた。


ブルガリア奪還

骨肉の争い

念願を1つ果たしたヨルンドであったが、早々に別の問題に悩まされる。
嫡男アールモシュの妻ピロシュカが、ヨルンドの不信心の証拠を手に脅迫してきたのである。

陛下にこのようなお願いをすることを残念に思います。
貴方がイシュテンへの信仰について疑念を抱いている証拠があります。
私の口を閉じたままにするために、私に便宜を図ってください。

ピロシュカの父は今は亡きボヘミア公フリーリクであり、存命中ヨルンドの密偵長として務めた父譲りの深謀を義父に対して突きつけることとなった。

義娘からの脅迫に対して寛大に振る舞うことをヨルンドは選んだが、タマスが老衰で亡くなったことをきっかけに状況は一変する。

タマスの死により彼が保持していた残り2つの大公位について、テッサロニキは民会の選出によりタマスの子アールモシュがアルモス1世として継ぐことになったが、残るもう一つのヘラスの民会はヨルンドの嫡男アールモシュに冠を被せることを選んだのである。


かつて我が手を離れた国が次代で統合できることが確実になったことはヨルンドにとって非常に喜ばしい、はずであった。


しかし我が子アールモシュは権勢を手にしたことで高慢になってしまったのか、妻ピロシュカと同じく父を不信心の咎で脅迫してきたのである。
一度ばかりは児戯として微笑ましく遊び相手になっていたが、息子夫婦からのこの二度目の脅迫は「一線を超えた」とヨルンドは見做した。


AIの振る舞いに対してプレイヤーの感情がキレた例その2

ヨルンドは嫡男アールモシュを廃嫡し、これによって彼の全ての男子は庶子や僧となった子を含めて継承権を失うこととなった。

結果、ヨルンドの長女マルガレータが継承第一位に繰り上がった。
マルガレータはヨルンドの父ブズリの頃から「女でさえなければ」と将来の継承候補者として見られており、人格・能力共にヨルンドの最も信用できる子であった。

さらにマルガレータの子アルングリムは幼少にして叡智の子として知られており、ヨルンドはマルガレータをこのアルングリムまでの繋ぎの共同統治者と定め、次代の霊帝への代替わりに備えさせることになった。

父帝を脅迫するという火遊びの結果、重い返礼を受けることとなったアールモシュはその後全てを失うこととなった。
カルパチアの継承権を失い、霊帝ヨルンドの後ろ盾を失ったとヘラスの諸侯に看做されたアールモシュはヘラスの民会で退位を迫られ、ヨルンドの義弟にあたるアカイア公のジェルジ(ヨルンドの異母妹マルガレータの夫)が新たなヘラス大公に就くことになった。


その後アールモシュはヘラス内に残ったアッティカの領地も剥奪され国外追放の身となり、妻ピロシュカが治めるボヘミアのフラデツへと逃れていった。
アールモシュがヘラスに入ってから僅か2年と数ヶ月の出来事であった。

新たなヘラス大公ジェルジとヨルンドの関係は良好であった。
2人は主従の関係ではなく、あくまでヨルンドの異母妹マルガレータを通じた同盟相手としてお互い振る舞った。
1119年5月にジェルジが「アルゴス信徒団」と名乗った新たな戦士団を発足させると、ヨルンドはこれを大いに称賛した。


自分が後援している戦士団でも、他人が雇用している時に無理やり雇い先を自分に切り替えるときは信仰点コストがかかる
強力であればあるほどコストもかさむ

これまでウラルの戦士団は代々の霊帝が直接後援する生命の樹の戦士団しか存在していなかった。
その大きな規模からくる戦力は非常に強力なものであったが、一方で彼らを召喚することは霊帝以外には非常に困難なものであった。
新興のアルゴス信徒団は「小回りのきく」宗教戦士団として、幅広く活躍することがヨルンドから期待された。

その後イタリアのカラブリアを巡ってジェルジが聖戦を敢行した際はヨルンドは援軍に応じ、地中海を渡って勢力圏を広げることを直接的に援護している。

栄光の晩年


王朝の遺産のLawトラックを掘り進めて内政効率を強化していく

カラブリアでの聖戦を最後に、ヨルンドの治世で大きな戦乱は起こらなかった。
戦費に税が費やされることはもはやなく、余剰資金はヨルンドの直轄領への新たな投資に使われた。

農場が広げられ、雇われる奉公人とその家族が増え、ヨルンドが手にする収入は増えていった。
その金はまた麦畑を広げ、あるいは砦に石の防壁を築き、常傭の戦士を増強するための資金となった。

軍事・経済に直接作用するものではないが、ショモジには静養のための離宮も建てられることとなった。
離宮は帝都の喧騒から離れたバラトン湖のほとりにあり、政治的圧力や決断に迫られる日々から離れて、精神的な安定を保つことが期待された。
また他国の要人を招待して外交的な会合や儀式を行うことにも適しており、専属の料理人が提供するワインや果物、子牛や子羊の肉などを伴って、外交関係の強化に寄与することも見込まれた。

晩年のヨルンドは将来帝位を継ぐことを定められた孫のアルングリムを連れてまわり、手ずから教育を行った。
あるときは罪人に対する裁決の様子を孫に傍聴させ、またあるときはギリシア哲学や歴史についての問答を行いながら、幼い皇子の成長を促した。
アルングリムはその頭脳の非凡さを多様な分野で顕にしたが、特に人の虚を突く企みを考えることが得手であった。


レベル4の智謀系教育特性に加えて"Herbalist"や"Witch"も兼ね備えており、とにかく陰謀能力に長けるアルングリム

幼い皇子はその探究心と手癖の悪さから、祖父のかつての色欲の逸話について古ぼけた手紙の山から情報を探し出し、あるいは他の大人から話を引き出した。
怪しげな薬や妖術を操るという噂も立ったが、戯れで自分を強請るアルングリムの遊びには度々頭を抱えさせられたとヨルンドは回顧している。


王朝の栄誉の階級がついに最高位に到達


Augustツリーの"A Life of Glory"は名誉の階級によるopinionの効果が2倍になる
最高位のThe Living Legendなら他人からのopinionに対するボーナスが+60にまで増強される

霊帝ヨルンドについて市井の人々はかつての「放蕩皇子」の悪名を想い起こす者はもはやおらず、むしろ「カルパチアの伝説」と持て囃す者が現れるほどであった。彼の統治の下、カルパチア帝国は繁栄の時代を迎え、その栄光は叙事詩として語り継がれるべきものとされた。


選択肢によって叙事詩が宝物として完成した時の効果を選べる

様々な逸話が叙事詩に取り上げられたが、ヨルンドの友インゴルフルの提案によって、ヨルンドの曽祖父・聖帝ステインも題材に取り入れられた。

「君の偉大な曽祖父は、魅力的で機知に富んだ人物だった。もし君が彼の半分でも狡猾な人物であることを知らしめれば、君に対して敵対する前に人々は二の足を踏むだろう」


敵対者からの陰謀に対する抵抗力強化と、自分からの個人的外交活動の成功確率を上げる効果がついた

完成した叙事詩は「ラウマリキ年代記」と名付けられ、ラウマリキ宗家の家宝として受け継がれている。
卓越した物語、道徳的な葛藤、緊迫した決闘がその内容を彩った。
一見突飛に見える「カルパチアの山々を切り開く」場面でさえ、ラウマリキ一族の運命を示す象徴的な瞬間となった。
ただしアルングリムが本を手にしたときは

「歴史は勝者によって描かれるということですね。自分の過去の不倫も身内殺しも、自分が書き手となれば物語から取り除いてしまえる」

と祖父の過去を小生意気に皮肉ることも忘れなかった。

ヨルンドは34年の長きに渡り霊帝として君臨し、1131年5月に老衰により72歳で亡くなった。
存命中に数々の罪を犯したが、それ以上の名誉が彼の生涯を飾った。

 

次回 女帝マルガレータ