王配フラニ

ショモジ公フラニ

女王イルディコーの王配であるショモジ公フラニ。西と北に接するジェールとニトラは2人の弟が治めている

 

©Mats Thorburn,2011, Runestone Hårby, Uppland., CC BY NC SA 2.0

ショモジの一角にはラグンヒルドと彼女に仕えた戦士達を祀るルーン石碑がある。
ラグンヒルドの骸は家中の者たちによって船葬墓で埋葬され、生き残った者達は彼女がいかに偉大に戦い、財産を築き上げ、明敏に立ち回ったかを讃えた。

ラグンヒルドの葬儀が終わった後、フラニはハザールの都の近郊、レヴェディアにあるタールトシュの聖地へ巡礼に赴いた。
彼はそこで一月ほど滞在し、ラグンヒルドの霊を慰めるため祈りを捧げ、その後ショモジへ帰還した。 

 

母の死から8ヶ月後、ノルウェーのハロガランドでは父フローリクが亡くなった。ノルウェーの土地はハンガリーに渡った息子3人に相続され、以降北ノルウェーハンガリー王国の飛び地として存続することになる。

 


女王イルディコー

「義母上は偉大な方でした。でも私はあの人が恐ろしかった。私を王として即位させた時も、義母上はまるで恐ろしい悪魔に取り憑かれたようで…」

ラグンヒルドの死後、イルディコーは夫のフラニに本音や弱音を見せるようになった。

「必要なことだったのだ、我が君よ。しかし今は私が貴女の支えとなろう。望むなら、武神としてではなく良き夫として」

ラニは自身が母ほどは将としての才を有しないことを自覚していたが、対話を通じて他人の信頼を得ることは得意であるということは理解していた。
ラニは味方の少ないイルディコーの望み通り王配として女王を支え、やがてそれは愛へと変わった。


父フラニに似て外交能力に天才的な成長を見せた嫡男アルングリム。性格特質はストレスは溜まりやすいものの非常に有用で他の能力値も隙がない

ラニとイルディコーの間には最終的に6人の子が生まれ、亡きラグンヒルドの望み通りに王位の継承者たる男子のアルングリムも健やかに育っていた。

 

ランダムイベントの選択により文化の枝分かれが発生。イベントでも枝分かれが発生するのを知らなかったので興味本位で実行してしまったが、どうやら文化の要素がランダムで変更されるようだ

この頃、ショモジのノルド人は故郷のスカンジナビアとは一線を画した帰属意識と連帯感を形成するようになっていた。
時には外より来訪したノルド人とショモジのノルド人との間で諍いが起こるようになり、ショモジの民はノルド人でありながらノルド人でないという新しいアイデンティティを確立しつつあった。

ショモジ文化が誕生。文化のEthos(気風)がBellicose(好戦的)からCommunal(共同)に、言語がノルウェー北の飛び地の影響かサーミ語に変化してしまった。Traditionsも一部自動で置き換わった

方言のちょっとした変化、微妙に違う風習は最初は見逃されがちだったが、小さな変化はやがて大きな変化となり、今ではショモジに住むノルド人は自分たちを「ショモジ人」であると認識するようになった。 

 


家系の遺産は1つ目と2つ目で共にKin(血族)のラインを解放していく。2つ目の効果で教育効果が高まり後継者の準備が安定しやすくなるので、筆者の好みで優先的に取得することが多い

 

ラニはラグンヒルドの偉業を後世に伝えるため、ショモジの僧ポーラに命じてラウマリキ家の年代記の編纂を行わせた。
ラグンヒルドがハンガリーを守護した英雄譚を中心とした内容が盛り込まれ、キリスト教徒との戦いの中で自らの身体を盾にして敵の矢から味方を救ったエピソードや、敵に囲まれた戦士を単身で救援に向かい、8人の敵を斧で瞬く間に打ち倒した…という逸話などが含まれている。
他にも、ハンガリーの平原に辿り着いたばかりの頃のラグンヒルドがアールパード王を助けたことや、その後女王イルディコーからの信任も厚く、アールパード一族に殉じたことなどを物語調で伝えている。
当然のことながら、後ろ暗いリヌチカ王の暗殺の事実は記されていない。イルディコーの即位については「首長達から不当に扱われていたイルディコーを、ラグンヒルドが天からの啓示を受けて救い上げた」と謳われている。


装身具スロットに装備しているだけで敵対的陰謀への抵抗と領土内での戦いでの有利補正がつくラウマリキ叙事詩。単純に強い

完成した年代記は「ラウマリキ叙事詩」と名付けられ、ラウマリキ宗家に伝わる家宝となった。ラグンヒルドは侵略者を打ち破ってハンガリーを救った偉大なる将軍として、後の世まで長きにわたり語り継がれることになる。

 

ハザール戦役

923年8月、フラニは北部カルパチア山脈にあるウングヴァルの征服を目的としてモラヴィアに宣戦布告するが、これに呼応したかのように東の大国がハンガリーに襲いかかってくる。


いつの間にかハザールがハンガリーに接していたことに気づいていなかった

 


ハザール文化とルス文化が混合し東方のスラヴ語を話すようになったカガン・ニシ。非常に高齢だが強力な軍事能力を持ち、皇帝位なので暗殺も困難

「我こそはユダヤのカガン、ハザールのニシなり。汝らまつろわぬ民を調伏し、我らが神の恩寵を与えるものである」

カザフステップを中心に巨大な遊牧民帝国に膨れ上がっていたハザールが、トランシルヴァニアを標的としてユダヤ教の聖戦を宣告してきたのである。
ハザールのカガンは自らをユダヤ使徒と称し、使者を送って改宗か死かを要求した。
イルディコーとフラニは国を挙げての抗戦を開始する。ラグンヒルドが亡くなって以来、初めて大規模な侵略を受ける大きな危機であることは明らかだった。

ハンガリー軍とショモジ軍は北東に接するハザール領のモルダヴィアに敵軍を誘引するため、先んじてこれを制圧し始める。
モルダヴィアは一帯が広大な丘陵地隊であり、南北にプルト川とシレト川という2本の川が流れている。ハザール軍の主力である弓騎兵の機動力を若干なりとも削げる高地で防御でき、更に敵に渡河作戦の不利を強いることもできるこの地で迎撃することを狙い、川と川に挟まれたドロホイに陣を構えてハザール軍を待ち構えた。

924年7月、夏のモルダヴィアの乾いた空の下、ハザール軍はプルト川を渡り、囮として配置されたショモジ軍の突出部に対して攻め寄せてきた。
戦いが始まると、ショモジを筆頭としたハンガリー軍は圧倒的な数の不利にもかかわらず勇敢に立ち向かった。彼らはハザール軍を渡河地点で拘束することに成功する。


丘陵による防御で+5、敵が渡河していることで+10、ラウマリキ叙事詩による領内防御で+6と、地形と家宝だけで+21もの優位を得ているのだが、それすらひっくり返してしまうカガンの圧倒的な指揮能力に手を焼いた。まとまった数の弓騎兵相手では、ノルドの重歩兵の攻撃がほぼ無効化されてしまうのも非常に厳しい

しかし、カガンの卓越した指揮を受けたハザールの弓騎兵は地形による不利をものともせずに散兵戦術を繰り返し、それに対してノルドの重歩兵は盾で矢を受け止める事はできても有効な反撃を与えることは叶わなかった。戦士たちは劣勢に立たされ、一人また一人と次第に倒れてていく。


勝てそうなのに勝てない、というところで敵の増援が到着する絶望感

ノルド戦士達はハザールの雑兵による戦列をいくつも跳ね除けてカガンの本陣に迫るも、幾度も到来する敵の増援に阻まれ、あと僅かというところで及ばず、敗走を余儀なくされた。


敗北。あとひと押しで勝てた戦いだった…

ハンガリー軍は大平原まで撤退し、傭兵を補充して再編成に努めたが、悪い知らせはドロホイでの敗戦だけではなかった。
女王イルディコーが戦場での傷が原因で死んだのだ。


なぜ戦場に向かってしまったのか…

医師の話によるとイルディコーが受けた傷は内蔵に達しており、それが直接的な死因になったということだった。
イルディコーの亡骸と対面したフラニは、呆然と立ち尽くした。
食事が喉を通らず、来る日も来る日も悲嘆の涙をこぼした。愛する妻を失った悲しみと喪失感に打ちひしがれ、しばらくは何も手につかなかった。
だが、カルパチア山脈を超えてトランシルヴァニアに迫るハザール軍を止めるべく、フラニは再び立ち上がらなければならなかった。
新たに即位した自身の息子、アルングリムを守るために。


ラニとイルディコーの子、ハンガリー王アルングリム。髪色や顔つきからマジャルとノルドの両方の血を引いていることがわかる

ショモジ公フラニは国内の首長を招集し、新たな王アルングリムの即位を宣言した。

「ラグンヒルドの子フラニは今ここに、新たに国を統べるアルングリム王への忠誠を誓います。我が身命にかけて、王国の繁栄と安寧のために尽くしましょう」

ラニが宣誓すると、他の首長たちも同様に声を揃えて王に従うことを表明した。
この瞬間、ハンガリーはハザールの脅威に晒されながらも、アルングリムを頂点とするラウマリキ王朝の新体制が誕生した。

 

反抗

ラニとアルングリムは軍議を開き、諸将と今後の方針について話し合った。
「陛下、ハザールの強さは我らの想像を超えておりました。このまま再びカガンと戦っても、同じ轍を繰り返すだけでしょう」
「ならばどうしますか」
「まずはモラヴィアとの戦いを終わらせましょう」

「カガンの主目的はトランシルヴァニアですが、すぐにその目的を達せるほど敵の制圧は早くは進まないはずです。その間に我々はウングヴァルとモラヴィアを制圧し、和議を結んで後顧の憂いを断ちます」
トランシルヴァニアの中心部はともかく、外縁部はハザールに制圧されてしまうのではないですか?公が納得するでしょうか」


大軍で制圧を続けたことと、冬季による消耗で補給が欠乏しているハザール軍

「あえてハザールに取らせましょう。トランシルヴァニア公へは戦後の補償を約束して飲み込ませます。重要なのは、ハザールは万を超える大軍で遠征してきているということです」
「補給も楽ではないでしょう。制圧した土地での徴発もいずれ立ち行かなくなって、一旦カルパチアの外へ退いて補給するか、あるいは無理を通して制圧を続けるか、どちらにしてもそこが我らの勝機となります」

ラニはハザールが攻め疲れた隙を突いて攻勢に出ることを提案し、諸将もこれに賛同した。

ショモジ軍は開戦より6年以上制圧できないでいたウングヴァルを攻略すると、929年12月にモラヴィア王を屈服させて、ウングヴァルの割譲を認めさせ和平を結ぶ。
一方、ハザールはカルパチア山脈を超えてトランシルヴァニアに侵入したものの、ハンガリーにとっての大打撃となるほどの占領は進んでいなかった。

北西での戦いを終わらせて反転してきたハンガリー軍に、ハザールのカガン・ニシが崩御したという報せがもたらされる。
カガンの地位はニシの子バーガが受け継いだが、ハザール軍の動きは鈍く、またその戦力が分割され、一部がモルダヴィアの奪還に向かっていることがわかった。


ドロホイの戦いの後もハザールの隙を見計らってモルダヴィアを執拗に制圧し直していたが、それがここにきて効いてきた

ラニはこれこそ好機と判断し、ハザール軍の後方を脅かすためにショモジ軍をドナウ川に送り、黒海からドニエストル川を遡らせた。
さらに好都合なことに、モルダヴィアの制圧に向かったハザール軍はノルドの河川航行能力を知らず油断したのか、カガンが直属に率いながらその陣容は徴募兵のみであった。弓騎兵はトランシルヴァニアに取り残されていたのだ。


黒海よりドニエストル川を利用して沿岸にいたカガンの軍を強襲する

ショモジ軍は川を伝って密かに近づくと、ドニエストル川沿岸のソロカにいたカガン率いる僅かなハザール軍に襲いかかった。
カガン・バーガは慌てて反撃するも、その指揮に父帝ほどの冴えはなく、寡兵のみのハザール軍はたちまち劣勢に追い込まれ、潰走した。


ソロカにおける大勝は8年以上膠着していた戦役における決定打となった

こうしてソロカでの戦いがショモジ軍の大勝に終わったことをきっかけに、カガン・バーガはアルングリム王に対して白紙和平を提案してきた。

先帝ニシの死によるハザールの弱体化とそれに乗じて勃発した騒乱に助けられた

ハザールでは傘下部族が独立の反乱を起こし、またビザンツからは黒海沿岸のアゾフに対する攻撃を受けており、もはやハンガリーを侵略している余裕は無くなっていたのである。

アルングリムはカガンからの提案を承諾し、和平を締結。こうしてハンガリー王国は8年に及ぶハザール戦役を領土の損失なしに戦い抜き、大きな危機を脱した。


かつて目を引いたフラニ赤毛は今やすっかり白くなっていた

禍根

ハザール戦役を切り抜けたアルングリムだが、数年の後に新たな問題に直面する。
トランシルヴァニア公アールパードがビハール公ゲーザと共謀し、新たな王としてエレメールという男子を擁立してハンガリー王に即位させようと反乱を起こしたのだ。
エレメールはかつてイルディコーと王位を争ったカミラの子であり、今は亡きアールパード王の孫にあたる人物であった。アルングリムは従兄弟と戦うことになったのである。

トランシルヴァニア公アールパードはマジャル人がカルパチアに侵入して以来ハンガリー東部のトランシルヴァニアを支配する家系の二代目であり、王の家令を務める現在の公もまたアールパード王の孫であった。
ラニはアルングリムの王位を守るため軍を招集するが、自身の天命が尽きかけていることを悟ると、ヴィシェグラードの王城でアルングリムに遺言を残した。

「アールパード公が叛旗を翻したのは私の不徳に因るところだ。彼を責めることはできない。ハザールとの戦いで彼の土地では多くの村落が焼かれ、人々は奴隷として東へ連れ去られた。誰かを責めずにはいられなかったのだろう」
「鎮圧しても大きな禍根を残さぬよう、土地までは彼の家から奪ってやるな。彼の子もまたお前の友となれるはずだ。マジャル人達とは上手く付き合え。修羅にはなるな」


934年10月、ショモジ公フラニは59歳で亡くなった。
遺体は母ラグンヒルドが葬られたのに近い場所で、同じように船葬墓に納められたのち、炎が灯され霊界へ送られた。
その生は大平原にやってきたノルド人とマジャル人を結びつけ、新たなハンガリー王という形で若きアルングリムへと繋がれていった。

 

次回 饗宴王アルングリム