ディヒスタンのバヤズィト

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©fdecomite,2010,Silk Road 1992,CC BY 2.0

砂と岩、吹き付ける風、そしてわずかな草木が広がる荒涼とした大地。
人々はオアシスを中心に定住し、川の周辺では灌漑農業が発達し緑が生い茂る。ナツメヤシや麦の畑が広がり、市で売られるスイカが旅人の喉を潤す。

テュルクの遊牧民をはじめに交易商たちはオアシスからオアシスへと渡り、シルクロードと呼ばれる長大な交易路が発展した。東からは絹のほか陶磁器や漆器、茶や香料などが運ばれ、西からは宝石やガラス細工、金や銀に絨毯が流通した。ペルシャは古くからそのような交易の中間地点の土地として、富や文化の流入に支えられて発展してきた。

11世紀後半から13世紀初頭にかけ、ペルシャはホラズムというテュルク系民族の王朝が支配し、中央アジアからペルシャ湾に渡る広大な版図を築き上げてきた。

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ホラズム朝ペルシャムハンマド2世とその勢力範囲。ほどなくして病死し、長子ティズ・シャーが後を継いだ。

 

だが、そのホラズムはいま大きな危機の前に立たされていた。東方の遊牧民ーボルジギン家のテムジン、あるいはチンギス・ハーンと呼ばれる男の下で勃興したモンゴル帝国が瞬く間に膨張を続け、彼の強大な軍団が地の果てまで征服せんと蹄を鳴らしているのだ。

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チンギス・ハーン。動員兵力はホラズム朝の4倍の6万弱。シナリオ開始時点でモンゴルが登場済みだからか兵力はだいぶ少なめ?進行中のゲームでマップの端に登場した際は10万前後のイベントスポーン兵を伴ってきたはず。

 

西方に先んじて東方でも征服が進み、中華ではモンゴルの氏族が皇帝の座についた。
王都エスファハーンにも同じように軍勢が押し寄せるであろうことは時間の問題だった。
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元朝中華帝国が成立

 

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モンゴル軍の圧倒的な武力の前に抗することもままならず、ホラズム軍は各地で敗走を繰り返した。数多くの都市が破壊・略奪され、人々はことごとく殺されるか、奴隷として連れ去られた。

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戦いの最中に皇帝チンギスが崩御すると、彼の三男オゴテイが跡を継いだ。しかしオゴテイも即位からわずか1年で戦死してしまう。その後チンギスの長子ジョチが第3代皇帝として即位するなど、モンゴルの帝室には混乱が見られた。
ただこれにより決着が覆るようなこともなく、1221年8月にモンゴル帝国はホラズム朝に勝利。ホラズム朝の旧直轄領とペルシャ王国の慣習的領域内の領主はモンゴルの支配下に置かれることとなった。 

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赤線内がモンゴル領。白線内が旧ホラズム領で独立した地域。

その他の東部・北部の諸侯は戴く王を失い、散り散りに分裂した。
ディヒスタンのキジル家もまた、生き残りを賭け活路を見出さなければならない。自身と同じように巨大な王国から放り出された多くのムスリム君主達と、モンゴルという巨大な怪物がひしめく中央アジアで…。

ディヒスタンのベイレルベイ

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1人目のPC、ディヒスタン軍政官バヤズィト。キジル家は彼が分家として興した家名となっている。

ディヒスタンのキジル家当主バヤズィトは既に齢50を超えている。しかし彼の後継者たる男子ルステムは未だ幼く、周囲のムスリム領主達にいつどこから攻められようともおかしくない状況である。自分が死ぬまでに、少しでも多く力をつけなければならない。

 

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ムスリム領主は男性しか領地を継承できない代わりに、妻を4人まで持つことによる後継者の弾数確保が容易なこと、領地を与えることで後継者の実質的な指名が可能なこと、第1妃に限らず妻全てが正妻とみなされるので不可侵協定が多重に構築されることなどから、継承や外交関係はかなり安定しやすい印象。妻帯枠が1つでも空いていれば娘を押し込められるのは大きい。

 

まずは潜在的な敵を減らすため、北に接するトルキスタンのジャラールッディーン王子の第2妃としてバヤズィトの娘ソンギュルを嫁がせ、不可侵協定を締結する。

ジャラールッディーン王子はティズ・シャー王子の弟である。兄と共にムハンマド2世の子であり、失われたペルシャ王国の請求権も引き継いでいる。天が彼に味方して、万が一にホラズムを復興するようなことがあれば、誼を通じておくのも悪くないだろう。

 

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ジョチの子バトゥにもバヤズィトの娘スィルマを嫁がせる婚約を成立させ、モンゴルとの間でも盟を結んでおく。

 

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ゲーム開始時に保有していたウスチュルトがティズ・シャーのものに。
元々の傘下領主(バヤズィト)の領地が王の新たな保有領地として自動的に割り当てられてしまった?

 

最初の第一歩として、都から落ち延びたティズ・シャーに占拠されたウスチュルト台地を奪還せねばなるまい。 

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「わたしは、わたしの家を守る為に、わたしの領地を取り返さねばならない。だがそのために、不幸にも戦う相手がかつて仕えた王の子となってしまった」

 

 

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ゼロからどころかマイナスからのスタートであったが、1222年1月にはティズ・シャーに勝利し、ウスチュルトを再び領有する。

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バヤズィトに破れたティズ・シャーは弟ジャラールッディーンの下へ身を寄せるが、そこでの食客扱いも長くは続かず軟禁されてしまう。兄弟仲を保つことの容易ならぬことよ…。

 

進撃のモンゴル

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バヤズィトが貴重な一州を巡って争っていた最中にも、皇帝ジョチはさらに西進を命じ進撃を続けている。

 

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対モンゴルの大規模な防衛協定が組織される(緑色部分)

他の諸侯も指を加えて見ていた訳ではなく、対モンゴルの防衛協定を組織し抵抗している。ただモンゴルがそれを意に介す様子もなく、スンニーのカリフを擁するイラクアッバース朝へ侵略。その後もイラン西部のロレスターン、アフヴァーズと同盟諸侯を打ち破りながら立て続けに攻略してしまう。

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飛ぶ鳥を落とす勢いでアラビア半島の付け根まで足を踏み入れたモンゴルは、1226年にようやく足を止める。帝国の内部で大規模な反乱が起こったのだ。

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ジョチの専横に嫌気がさした諸侯の不満が爆発

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その後反乱は鎮まるものの、反乱軍と反モンゴル同盟諸侯による内外からの抵抗によりモンゴル軍の消耗が激しく、反乱発生直前に始めていたイラン東部ホラーサーンの征服は1228年1月にモンゴルの敗北に終わる。これが初めてモンゴルに土がついた例となった。

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チンギスの遺産は使い切られつつある

その後皇帝ジョチは1229年にガンで死去。チンギスの末子トルイが第4代皇帝として即位する。

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モンゴル皇帝の代替わりが激しすぎて、婚姻による不可侵協定の維持が困難であることに気付き始める

モンゴルの軍事力はいくぶん削がれたものの、それでもなおこの地域で最強を誇る存在であることに変わりはない。トルイもこれまでの皇帝に劣らず、軍事的才能に優れた恐るべき男だ。莫大な金銭収入を有していることから傭兵の大量雇用に頼った兵力の増強も驚異であり、未だ安易に敵対すべき相手ではない。


ダイラム進出

話を再びバヤズィトのことに戻そう。

ウスチュルトが自領として復帰した後、バヤズィトの狙いはカスピ海沿岸に沿ったダイラムと呼ばれる地方に手を伸ばすことだった。

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©maysam pourghasemi,2007,Gilan Masal,CC BY-SA 2.0

ダイラムは緑に覆われた山岳地帯であり、水源が豊富で古くから農耕が盛んであるなど恵み豊かな土地だ。またシルクロードの幹線の1つが通っており、商業的にも大きな資源が横たわっている。ここを広範囲にわたって確保できれば、軍事的にも経済的にも強力な地盤を手にすることができるはずだ。

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カスピ海沿岸の黄色線内がダイラム王国のde jure範囲

ダイラムは今いくつかの小勢力によって分割されている。かつてはここもホラズムの下に束ねられていた地域であったが、かの王国が崩壊して以降はモンゴルの手が及んでおらず、西のグルジアアイユーブ朝などの他の大きな勢力からも手付かずの地だ。未だ弱小で少しでも勢力を拡大させたいバヤズィトとしては、他所に獲られる前に獲るしかない。

 

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1227年、バヤズィトは南に接するゴルガーンを奪うべく兵を動かす。

ゴルガーンは最近シーアを自認する民衆達が反乱の末にスンニーの領主を追い出したばかりの土地であり、その防衛力は僅かなものであった。ダイラムへの足がかりを欲していたバヤズィトにとって、天恵ともいえる好機だったのだ。

翌年には農民出身の指導者であるモルテザという男を屈服させ従属させるが、ゴルガーンを自分の直轄領として組み込みたいバヤズィトは時を移さず「モルテザに逆心あり」と二枚舌で処罰を布告した。
これに反抗したモルテザを戦場で敗死させ、盟主も後継者もいないゴルガーンはキジル家に接収された。

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自勢力がまだ小さく、他に配下領主もろくにいないので、風聞を気にせず捕縛や領地没収もやりたい放題

 

ゴルガーンはシルクロードの中間交易地としてのポテンシャルも秘めていた。家令の勧めもあり、資材と人夫を投じて交易所を設立する。

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ver2.8で実装されたシルクロードの特定地点での交易所の設立。3段階までアップグレードすることができる。商業共和国以外でも設立可能で、保有してるだけで巨大な利益を生み出してくれる。

 

続けざまに、新たに西に接したタバリスタンを攻める。ここも民衆の反乱で独立していた土地だが、ゴルガーンの時とは違い今度はシーアに対する聖戦だ。同じシーアの一揆が支配していたゴルガーンを先に削ったことで、シーアの他の勢力と団結するリスクもなくなったことによる行動だった。

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イスラム教は相手が異教や異端でなくても宗派が違えば聖戦CBを使える

ディヒスタンから徴発した兵に漢族の傭兵を加え、5500の兵で3000弱のタバリスタンを攻める。

シルクロードを伝って渡り歩く傭兵の中でも漢族の一党は長槍兵を主力とした強力な歩兵部隊を擁しており、この後も度々キジル家に重用されるようになる。

彼らの貢献もあり、1230年3月に聖戦は決着した。

 

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更に領地を増やすべく三度兵を動かそうとするも、獲得したばかりのタバリスタンでシーアの中でもさらに異端の信仰が出現してしまう。州の民衆全体にこれが蔓延し、バヤズィトの従士達の立ち入りを実力で拒む集落も出始めるなど、一触即発の事態に陥る。

たまらず将軍を鎮圧のために派遣する。が、悪いことは重なるもので、その派遣した将軍によって不正な税の徴収がなされていることが発覚する。
すぐさま将軍を処罰するも、これによってタバリスタンの不安定化は更に長引くことになってしまう。

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想定外のトラブルで時間を消費したものの、1235年には更に西のアラムートを征服することに成功し、この8年間の一連の外征によってバヤズィトはダイラムで3州を獲得。ディヒスタンに加えてタバリスタンの軍政官も兼ねて自称するようになった。

 

領地での日々

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戦の他にも領主にはやるべきことが多い。

ラマダーンを通じて飢えと向き合うのも、より清い人間へなろうとするには必要な道だ。人々を統べる立場の者にとっては、下々に範を示す為にもなおさら望ましい。 

皆が日が沈むまで食を断つ期間のある日、バヤズィトの屋敷に勤める奉公人が日中に荷物を運んでいた。彼は蔵の奥から何かの物音を聞きつける。

すわ鼠か、あるいはそれを追ってきた飼い猫か…。

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奉公人が蔵の奥を除いて音の正体を確認すると…はたしてそこにいたのは、乾燥させたナツメヤシの壺を腹に抱え、涙を流しながら食べているバヤズィトだった。 

呆れ果てる奉公人と、空腹に耐えきれず我を忘れる老いた領主。齢60を超えるまで肥大化し続けた我欲を洗い流すには、かの儀礼は相性が良くなかったらしい。

 

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打って変わって、商いについてはバヤズィトの意欲は旺盛だったようだ。

街道に打ち捨てられた宿を改修し、事業として立て直す試みを行いはじめた。

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提供する食べ物に密かに塩を多めに含ませて飲み物の注文増を見込んだり…

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遠くから著名な歌手を招いて客に披露させたり…

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創意工夫と投資は功を奏し、「三日月のオアシス亭」と名付けられた宿は見事に再生した。商売人としての力を証明してみせたバヤズィトは満足気な心持ちだったことだろう。

 

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一族の団結を心がけるための家訓をしたためた本も執筆した。自分がこの世を去るまでに、少しでも多くのものを残さなければ…。

 

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ゴルガーンへの本拠地移転も行う。シルクロードの中間交易地から得られる経済的利益を一層有効に利用するためだ。
「我が一族の子孫が、壮麗な都を打ち立ててくれることを願おう。光り輝く宮殿が全ての人を目眩く虜にし、その名は交易路を伝って世界の両端まで響くような…」

 

運命の岐路

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1236年4月、4代皇帝トルイがモンゴル傘下領主の妻の命で暗殺される事件が起きる。5代皇帝としてフレグが即位するが、この頃バヤズィトと側近達は今後の外交方針をどうするかで頭を抱えていた。

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というのも、西のアラムートまで手に入れられたのはよかったものの、これによりモンゴルと遂に国境を接することとなってしまったのだ。

これまでモンゴルとは婚姻による不可侵協定を結び、ムスリム諸侯の対モンゴルの防衛協定に加入することも避けてつかず離れずの関係を保ってきた。

しかし婚姻による関係構築には限界もある。
代替わりが激しく次期皇帝が誰になるか予想しづらいモンゴル相手に絶えず対応するにはこちらの負荷が大きく、常に皇帝の近親者に縁談を申し込める空きがあるとも限らない。皇帝の近親者との婚姻関係が途絶えた途端に不可侵協定も消滅するため、モンゴルの騎兵にいつ蹂躙されるかわからない恐怖と付き合わなければならないのはあまりにリスクが大きい。

それでは対モンゴルの防衛協定に参加し、同盟諸侯と足並みを揃えてモンゴルの驚異に立ち向かうか?
確かにモンゴルの兵力はホラズムを打ち破った頃に比べればかなり衰えている。5代皇帝フレグは先帝達と打って変わって凡庸な人物らしい。
先だってのモンゴルのホラーサーンへの侵攻も、これまで敗戦を続けていたムスリム諸侯が跳ね返している…が、あれはモンゴルが国を真っ二つに割る内乱の対処に手を割いていたからこその勝利でもある。

 

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イベントスポーン兵を使い切っていても動員兵力をここまで用意してくる


防衛協定による戦争中は、参加国相手に領土拡大を狙った戦争を仕掛けられなくなるというデメリットもある。モンゴルはこの地域の諸侯ほぼ全てから脅威にみなされていることから、防衛協定へ参加している間は自勢力拡大のチャンスは今後相当長い期間訪れなくなるだろう。

ムスリム諸侯とは関係を築かず、ダイラムへの進出をさらに推し進めて力をつける道もあるように思えるが、これも行き詰まっている。
カスピ海の西岸から南岸にかけては、タブリーズとギーラーンの軍政官を兼ねるイルデグーツ家が制圧しており、キジル家と同等の力を持っている。
たとえ一時勝てたとしても削り取れる領地はわずかで、両者が弱ったところを第三者に飲み込まれる、ということにもなりかねない。

 

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悩みに悩んだ末、バヤズィトが選んだのは自らモンゴルの傘下に下ることだった。

 

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1236年5月、モンゴル帝国に従属を願い出る。

心からの従属ではないことは相手にとって百も承知だろう。信仰が異なる者に膝を屈するのに反対する側近もいる。
それでも、少なくともこれによりモンゴルに攻められるリスクは無くなり、外部の勢力と敵対しても強大な後ろ盾の威を借りることができる。
バヤズィトの領地はモンゴル傘下の他の諸侯と比べてもそれなりの規模になる。あまりに蔑ろにされることもないはずだ。

従属しつつ外征を進め力を付け、いざとなれば他の傘下諸侯と連携してモンゴルを内側から食い破って独立すればよい…」

バヤズィトは後継者たるルステムにそのように言い聞かせた。

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皇帝の評議会に顧問の席を用意される

 

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北部の領地を任せている後継者のルステムはジャラールッディーン王子と戦い、ヒヴァを奪い取った。期待に応えよく父を支えてくれている…。

 

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1236年6月、皇帝フレグがエスファハーン総督に対する征服戦争を布告した。

御多分に洩れず、防衛協定参加者が揃って防衛側で参戦。キジル家は自身と同じ旧ホラズム傘下だった諸侯達と一斉に干戈を交えることとなった。

 

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評議会の椅子に座るようになってから、評議の場で同調することと引き換えに皇帝から多数の銀貨や財宝を与えられることが度々あった。

本心ではこれを元手に領内の開発を加速させたいバヤズィトであったが、状況がそれを許さなかった。領内に殺到するムスリム同盟諸侯から城を守る為に、下賜された財のほぼ全てを投げ打って傭兵を雇用しなければならなかったのだ。
相手にとってはタバリスタンもディヒスタンも最早モンゴルの尖兵でしかない。最前線となったここに彼らが攻め込んでくるのも当然だった。

 

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戦って

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戦って

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戦い抜いて、我が領地に被害が及ぶのはなんとしてでも避けねばならない。
たとえその相手が、自らと同じ神の下で集っている同胞達だとしても。

攻めているのはモンゴルで、エスファハーン総督が攻められているのではなかったのか。なぜ我々が皇帝の引き起こした戦で都を危険に晒さなければならないのか…。自領を西へ東へ駆け回りながら、バヤズィトには早くも後悔の念が募り始めた。
これがモンゴルに降った代償だというのだろうか…。

 

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対モンゴルの防衛協定に参加しているのはムスリム領主だけではなかった。キリスト教国のグルジアもまたその一員だ。
だが女王ルスダンが従軍中にモンゴルの虜囚となってしまう。

バヤズィトも選択次第で彼女と同じ道を辿っていたかもしれない。
誰もが知恵を振り絞り、神に祈っている。この困難な時代を生き残るために…。

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バヤズィトはゴルガーンの街に巨大な塔を建て、攻め入る敵を防ぐ備えとした。
これを成し遂げたバヤズィトは住人から尽く敬われ、彼は建築家としても名を広めることとなった。

 

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塔の完成を見届けたことでこの世での使命を終えたとでもいうのか、バヤズィトは突如として病に倒れた。末期のガンだった。

 

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バヤズィトの天命は齢69にしてついに尽き、その子ルステムが後継者となった。
家を守るためとはいえ、かつての主君の王子に刃を向け、支配下に置いた領主を騙し討ちにもした。アッラーを畏れぬ者を主とし、そのために今も同胞同士で無為な戦いを続けている。バヤズィトは多くの罪を抱えて旅立つことだろう。
だが、彼がキジル家に残した礎の価値もまた偉大なものだった。

 

法学者ルステム(前編)へ続く